セクシュアリティをめぐって
──「社会構築主義・本質主義論争」の一側面
魚住洋一
一九七〇年代末から一九九〇年代初めにかけて、同性愛の「歴史」に関する数々の議論が展開され、それらの議論はしばしば「社会構築主義・本質主義論争」(the social constructionist-essentialist debate)と呼ばれてきた。しかし、歴史学者ジョン・ボズウェルによれば、それは実際には「論争」ではなかった。というのも、それらの議論において、本質主義者を名乗る者は居らず、社会構築主義者を自称する人々がその論敵と目する人々をそう名づけただけだったからである[Boswell 1990:133]。ボズウェルは、デイビッド・M・ハルプリンなどによって「本質主義者」と名指された当の本人だが、彼が論争はなかったと述べたのは、構築主義者が槍玉に挙げるような極端な本質主義者などどこにも居ないと抗弁したかったからではないかと思われる。実際、彼自身、ハルプリンなどの批判に答えており、そこに論争があったことは紛れもない事実である。しかし私は、それとはまた別の理由から、それをあえて括弧つきの「論争」と呼びたいと思う。というのも、私見では、本質主義者が「性的指向」を問題にしたのに対し、構築主義者が問題にしたのは「性的アイデンティティ」であり、両者の主張は噛みあわず、結局、摩れ違いに終わってしまったと思われるからである。
私はここで、ボズウェルとハルプリンというこの二人の議論に即しながら、本質主義と構築主義のこの「擦れ違い」の実相を明らかにするとともに、両者の主張が互いに排他的ではなく、むしろ両立可能かもしれない、というその可能性を探ってみたい。
1.
ボズウェルは、「革命、普遍、性的カテゴリー」のなかで、彼のいわゆる「ゲイ・ピープルの歴史」をめぐっての本質主義と社会構築主義の対立を、中世の普遍論争になぞらえて、実在論と唯名論の対立として語っている。彼の要約によれば、実在論とは、カテゴリーは世界のなかに実在する秩序を認知することによって得られた「普遍」であり、この秩序は人々が観察できなくても存在し、それは人々が「発見」するものであって「発明」するものではないとの主張である。他方、唯名論とは、カテゴリーは、人々が恣意的に取り決めて作り出したモノの名(nomina)にすぎず、そこに見出される諸事象の区分けは人々による発明にすぎないとの主張である[Boswell 1989:18f.]。そう述べたあと彼は、「ゲイ・ピープルの歴史」に関して問題となる普遍とは、「性的選好ないし性的指向」(sexual preference or orientation)というカテゴリーであり、それが社会的所産であるかどうかが論争の的になると語る。彼によれば、同性愛的ないし異性愛的な性的指向というカテゴリーが人間精神の「実在的」な特性を示すものではなく、特定の社会によって発明されたものであるなら、「ゲイの歴史」などありはしないことになるか、あるいは、同性愛はその存在が信じられている社会においてしかその「歴史」をもたないことになってしまうのである[Boswell 1989:20]。
「ソドミーはかつて禁じられた行為の一つであった。それを犯した者はその法的主体にすぎなかった。ところが、一九世紀の同性愛者は一個の登場人物となった。……同性愛者はその性的欲望と一体化され、それはその人物の性癖上の罪というより異形の本性となる。ソドミーを犯す者はかつては性懲りもない異端者であったが、いまや同性愛者は一つの種族となったのである」[Foucault 1976:59〔五五−五六〕]。──しばしば引用されるミシェル・フーコーのこの有名な言葉は、一見、ボズウェルが危惧したまさにそのことの表明であるかのように見える。しかし、フーコーがここで問題としているのは「性的指向」ではなく、むしろ「性的アイデンティティ」であろう。なぜなら、同性愛者が一九世紀においてはじめて出現したと主張するこの言葉によって彼が語ろうとしているのは、一九世紀以前にあったのは法を侵犯する肛門性交という「行為」にすぎなかったが、一九世紀においては同性愛者というアイデンティティをもつ異形の「種族」が立ち現われたということだからである[1]。一方、ハルプリンは、"homosexuality"という言葉が一九世紀末に作り出されたことをもって、「一八九二年以前には同性愛は存在せず、性的倒錯しか存在しなかった」と述べているが、それは一つには、同性愛者を生み出すことに大いに関与したのは同性愛を「性的倒錯」として病理化した当時の精神医学、セクソロジーであったというフーコーの言説に修正を加えるためであった[Halperin 1990:15〔二七〕]。というのも、ハルプリンによれば、同性愛は一九世紀に性的倒錯と見做されたとはいえ、あくまでも他のさまざまな倒錯と並ぶ倒錯の一つにすぎなかったのであり、同性愛者という「種族」が誕生したのはむしろ、「自慰行為者」など他の性的倒錯がその重要性を失っていくなかで、人々が「異性愛者」と「同性愛者」という二つのカテゴリーに分割されるようになったからなのである。──ところで、彼によれば、セクシュアリティ、つまり、同性愛と異性愛とは、人々のありかたについての純粋に記述的な用語ではなく、むしろ「人間の体験を解釈し、組織化する役割を果たし」、「自己というものを原理的に構成するもの」である。したがって、それは、オマエは誰なのかという人々のアイデンティティを作り上げる力、「人間の行動、態度、趣味、選択、身振り、流儀、仕事、判断、話し方といった広範な領域にわたって微妙かつ巧妙に作用する無言の力」なのである。ハルプリンは、セクシュアリティがそうしたものとして位置づけられることによって、人々のアイデンティティは、性的指向の対象が同性か異性かという二項対立によって両極化され、人々は互いに排除しあうカテゴリーのどちらか一方に属することになった、そしてそれがなされたのは一九世紀の末だったのだ、と述べている[Halperin 1990:24f.; 26〔四三、四六〕][2]。
さて、ハルプリンによれば、セクシュアリティとは「文化的虚構」であるが、だからといってそれが虚偽や非実在だというのではなく、それが歴史と文化の「外部」にあるのではないということであって、同性愛者と異性愛者は現に存在しているのである。問題は、彼が主張しようとしているのが、同性愛者と異性愛者という区分は性的指向の違いによる超歴史的な区分ではなく、むしろ性的指向が、オマエは誰なのかという人々の「真実」を告げ知らせるような、人々のアイデンティティの中核を占めるものとして位置づけられる、そうした特定の社会においてのみ、同性愛者と異性愛者が姿を現わすということである。彼は、現代の「同性愛」という用語を古代人に当て嵌め、その用語をもって分類できるような行動や心理の証拠を発見できるだろうかと問い掛けながら、「これらの用語が〈記述的で超歴史的〉な性格をもつと推定されるならばできるであろうが……」と付け加えている。しかし、すでに述べたように、彼にとってセクシュアリティとは、「記述的」な用語ではなく、あえて言うとすれば「規範的」な用語であり、人々のアイデンティティを「生み出す」働きをなすものである。だから彼は、たとえば古代ギリシアに同性へ向けられた性的指向をもつ人々が居たことを否定するのではないのであり、ただ彼らと彼らの社会が、「同性愛者」というアイデンティティのありかたを想像すらできなかったことを主張しようとしただけなのである[3]。彼はこう述べている。「自分と同性の他の人々との性的接触を求める人々は、(古代ギリシアも含めて)多くの異なった時代や地域に存在していたのだが、そうした人々(あるいは、そうした人々の一部)が同性愛者であるのは、ここ百年ほどのことにすぎない」[Halperin 1990:28f.〔四八−四九〕]。──ところで、ラージャ・ハルワーニは、こうしたコンテクストで、同性愛という用語を「規範的」な意味で用いるハルプリンの考えは本質主義に異を唱えるものではないし、本質主義者にしても彼の考えに反対はしないだろうと語っているが、それは、彼によれば、例外はあるにせよ、少なくともボズウェルなどの本質主義が、同性愛的な性的指向がアイデンティティの決定因子かどうかという問題にはコミットしないからなのである[Halwani 2006:216]。ただ、社会構築主義と本質主義の調停が可能だというハルワーニのこの主張に、すぐさまここで同調するのは拙速にすぎよう。私としては、いましばらくハルプリンとボズウェルの議論を辿っていきたい。
2.
ハルプリンは、同性愛が資本主義社会の「発明」であることを、古代ギリシアの性愛のありかたと対照させることで際立たせようとする。そのため彼は、プラトンがその対話篇『饗宴』のなかでアリストファネスに語らせた性愛の起源についての神話を手掛かりとして、古代ギリシアの「少年愛」に関する議論を展開している。一方、ボズウェルもまたこの神話に言及しながら、「少年愛」に関してハルプリンが展開したような議論への批判を行なっている。話をより具体的にするため、次に「少年愛」に関するこの両者の議論を瞥見することとしたい。
周知のように、アリストファネスによれば、太古、人間には球状の体に八本の手足、二つの顔、二つの性器があり、三種類の性──男男、女女、男女──をもちあわせていた。ところが、人間たちは神々を逆鱗させる振る舞いに及んだため、ゼウスによって二つの半身に切り離されてしまった。その後、切り離された半身同士は互いを恋い慕い、性交渉をもつに至ったという。
たしかに、この神話から読み取られるのは、ボズウェルも語っているように、アリストファネスが、現代のわれわれと同じように、人間は同性愛者と異性愛者という二つの「種族」に区分されると考えており、しかもこの区分を排他的で生得的なものと見做していたということではないかと思われる。たとえばボズウェルは、こう述べている。「プラトンの『饗宴』で語られた有名な性愛の原因論のなかで、アリストファネスは、すべての人間は、生まれながらして、また終生、同性愛者か異性愛者か両性愛者のいずれかであるという性的分類を明確に主張している。……アリストファネスが念頭に置いているのは、明らかに、いずれのジェンダーに属する個々人にも状況に応じて性的反応を示すような、経験と欲望が未分化な人々ではなく、生得の性格から生じてくるような生涯に及ぶ性的選好をもった人々なのである」[Boswell 1990:163f.]。ボズウェルがそう解釈するようなアリストファネスのこの考えが、きわめて多くのギリシア人たちの共通理解だったとすれば、同性愛者と異性愛者というカテゴリーは「超歴史的」なものである可能性をもつことになろう[4]。
しかし、ハルプリンは、そのことにただちに異議を唱える。彼はまず、アリストファネスの神話は人間を二つではなく三つの「種族」に区分しており、互いに異性を求める男女がともに属するカテゴリーに対し、男を求める男と女を求める女を一括りにするようなカテゴリーを想定できるような余地はこの神話にはまったくないと述べる。それに続けてハルプリンは、アリストファネスがこの神話を語ったすぐあと、惹かれ合う男同士について、少年であったときは成人を好み、成人になると少年を愛するようになると述べ、そうした少年と成人の男をそれぞれ"philerast"と"pheaderast"と呼んでいることに着目する。そして彼は、古代アテネにおいて、成人市民が性的関係をもつことが法的に認められたのは社会的に下位にある非市民だけであり、上位者である成人市民と下位者である女、少年、奴隷、外国人の双方は、その社会的位階に応じてそれぞれ、能動と受動、ファルス挿入と被挿入という、支配と従属の社会的関係をそのまま反映する役割をセックスにおいて演じたことを証拠立てようとする。彼によれば、古代アテネではセックスは、二人がともに行なう相互行為というよりはむしろ社会的上位者がファルス挿入というかたちで一方的に行なう行為であり、したがって、少年愛の関係にある成人と少年を「同性愛者」として同質化することは、強盗を「能動的な犯罪者」とし被害者を「受動的な犯罪者」として双方を犯罪の共犯者とするのと同じく奇怪なことなのである。以上のことを踏まえながら、ハルプリンはこう結論づける。「古代アテネの人々の性的アイデンティティは、彼らの社会的アイデンティティ、公的地位によって決定されたのではないにしても、それらと不可分の関係にあったと思われる。……セックスの相手は二つの大きく異なった種類──男と女ではなく〈能動〉と〈受動〉、支配と従属──に分けられていた。だから、いま流行りの同性愛と異性愛は、古代アテネの人々にとってはまったく意味をなさなかったのである」[Halperin 1990:30-33〔五一−五六〕]。
ところで、ボズウェルは、ハルプリンへの批判として、アリストファネスの神話で、互いに切り離された太古の人間は一緒に生まれたのだから同年齢であるはずなのに、ハルプリンがそれを無視して、古代ギリシアの同性間の性愛が現代の同性愛とは異なる理由として、とりわけその年齢差を強調しているのは奇妙ではないか、と述べている[Boswell 1989:25]。しかし、ボズウェルの主張しようとすることはもっと根本的なところにある。というのも、彼は、古代ギリシアにあったとされる成人市民と少年の間の「少年愛」の存在そのものに疑問を投げ掛けるからである。たとえば彼は、『キリスト教と同性愛』のなかで、例外はあったにせよ「少年愛」が現実に対応していたとは考えにくく、それはむしろ「理想化された文化的慣習」ではなかったかと述べている。彼は、現代、欧米で美しいとされる女性の典型が一〇代の少女であり、美の基準が若さに求められていることに言及しながら、それと同じく古代ギリシア人にとっても、美しい男の理想は「少年」ではなかったかと言うのである。それはあくまでも「理想」であって、"girlfriend"や"boyfriend"という英語の表現が年齢に関わりなく用いられるのと同じく、"paiderastia"(少年愛)という言葉は、実際には欲望の対象の年齢には関係がなかったと彼は述べ、恋愛関係にあった七二歳のエウリピデスと四〇歳のアガトン、六五歳のパルメニデスと四〇歳のゼノンなどの例を挙げている[Boswell 1980:28-30〔五三−五五、四三四−四三五〕]。ボズウェルは、こうした議論を通じて、古代ギリシアにおいて「少年愛」の名のもとに語られたその背後にあったのは、現代と同じ「同性愛」にほかならないと主張するのである[5]。
3.
これまで、古代ギリシアの性愛についてのハルプリンとボズウェルの主張の違いを見てきたが、ここで、今まで触れなかった問題に触れておきたい。それは、ボズウェルが、自分は本質主義者ではないと語った一件である。彼は、一九八二年から八三年の論文「革命、普遍、性的カテゴリー」に一九八九年、新たに書き加えられた「後記」で、こう述べている。「ほとんどの構築主義者の議論は、本質主義の立場には、西洋社会に〈ゲイ・ピープル〉が超歴史的に存在したという仮定以外に、社会が性的感情を作り出すのではなく、それらの感情に影響を及ぼすだけだという仮定が含まれているはずだと決め込んでいる。それは、遺伝子や心理学的要因など、何か他の力が〈セクシュアリティ〉を作り出すのであって、その力は本質的に文化に依存するものではないという仮定である。……しかし、私は人間のセクシュアリティの起源と原因論(etiology)に関して不可知論者であったし、いまもなお不可知論者である」[Boswell 1989:36]。ここで彼は、セクシュアリティの原因論にはコミットしないと明言しているのだが、ちなみに社会構築主義の大御所と目されるフーコーもまた、同性愛の原因は何か、という問いにはどんな立場も採らず、あるインタヴューでその問題を質された彼が、「この問題については、いっさい言うことはありません。ノー・コメント」と語っていたことはきわめて興味深い。彼は、同性愛などのセクシュアリティが制度的、言説的に形成されるその条件を歴史的に解明しようとしていただけだというのである[Foucault 1988:288]。してみると、この二人に限って言えば、本質主義と社会構築主義の「論争」は、「生まれか育ちか」(By nature or by nurture?)をめぐる論争では必ずしもなかったことになる[6]。
話を進めよう。すでに述べたように、ハルプリンが問題にしたのは、性的指向ではなくあくまでも性的アイデンティティについてであった。では、ボズウェルはどうなのだろうか。厄介なのは、性的指向と性的アイデンティティについての彼自身の区別がきわめて曖昧なことである。彼は、一九八〇年の『キリスト教と同性愛』のなかで、「ゲイ」を定義して、「同性に対する性的嗜好を顕著な特徴として意識している人々」と語っている[Boswell 1989:44〔六六〕]。この定義で問題なのは、「顕著な特徴として意識している」という一句であろう。この一句だけからすれば、彼は「性的指向」について語っているというよりも、むしろ「性的アイデンティティ」について語っているように思われる。──しかし、『キリスト教と同性愛』の二、三年後に書かれた「革命、普遍、性的カテゴリー」になると、彼の考えはそうした印象とはかなり違ったものだと思わせる箇所が見出されるのである。ここで注目したいのは、ボズウェルが社会構築主義と対比しながら自らの立場を要約している箇所である。そこでの叙述によれば、構築主義とは、「すべての人間は性的に多形的であって」、「社会的圧力や法的禁止、宗教的信念、歴史的ないし個人的状況など外的偶然性によってそれぞれの個人の性的感情の表現が決定される」と考える立場である。それに対して彼の立場は、「すべての人間が分類上それに帰属するような性的な対象選択に基づいた二つないしそれ以上の性的カテゴリーを想定する」立場であるが、ただし「特定の社会の個人は、外的圧力や状況によって、彼らの生まれつきのカテゴリーとは異なるカテゴリーに帰属するように演じたり、あるいは、そう信じたりするように仕向けられることもある」という事情をも考慮する立場である──と、そこではそう述べられているのである[Boswell 1989:23] 。問題は、ここで付け加えられた「生まれつきのカテゴリーとは異なるカテゴリーに帰属すると信じるように仕向けられることもある」との但し書きにある。この但し書きによれば、彼の区分は、自らの性的な対象選択を明確に意識する者も居れば、意識しない者も居るような区分なのである。ところで、この叙述から示唆される彼の考えが決定的なかたちで語られることになるのは、この論文に書き加えられた例の「後記」であろう。というのも、そこではかつての「ゲイ」の定義が修正され、ゲイとは「性的関心が主に同性に向けられている人々であり、彼らがそのことを顕著な特徴として意識しているかどうかには関わらない」と述べられていたからである[Boswell 1989:35]。彼の「ゲイ」の定義において「顕著な特徴として意識している」の一句がまったく逆の表現に書き改められたことは、彼が問題としているのが「性的アイデンティティ」ではなく「性的指向」であることを、何にもまして物語っているのではなかろうか。彼は別の箇所で、「〈ゲイ〉という用語が、その性的関心が主に同性へ向けられていること以上の独特の社会的アイデンティティをもつひとを意味するのであれば、その用語を過去にも適用することは困難だろう」と語っているが、その言葉もこのことを傍証するものだと思われる[Boswell 1990:146]。
4.
以上で見てきたように、ハルプリンが問題にしたのは性的アイデンティティであり、古代ギリシア人が同性愛者としてのアイデンティティをもたなかったと主張するとはいえ、彼らが同性への性的指向をもっていたことは是認しており、一方ボズウェルも、多少の曲折はあったにせよ、最終的には性的アイデンティティの問題にはコミットせず性的指向のみを問題にし、同性愛的な対象選択が超歴史的に存在していることだけを主張しているのだとすれば、この二人の主張は、例の「少年愛」についての対立は残るとしても、両立可能だということになる。しかし、事情はそれほど単純なものではない。たとえばボズウェルは、一九八九年のインタヴューで、「構築主義者の多くが強調しようとしているのは……同性への指向や選好に基づいたアイデンティティこそが……現代の西洋に特有の現象だということではないかと思うのですが」との問いに、「この問題の根本的なところは、現代のゲイ・アイデンティティが均一なものだという仮定にあります。しかし、それはまったく誤っているのです」と答えている[Mass 1990:218]。彼は、現代において問題なのは単数形の"homosexuality"ではなくむしろ複数形の"homosexualities"ではないかとも語っているが、彼が指摘するように、多婚的あるいは単婚的なゲイやレズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダーやトランスセクシュアル、異性装者など、互いに相容れないさまざまな多様性が「ゲイ」として一括される人々に見出されるのである[Boswell 1990:146; 1989:21]。彼はまた、先に引用した「〈ゲイ〉という用語が、その性的関心が主に同性へ向けられていること以上の独特の社会的アイデンティティをもつひとを意味するのであれば、その用語を過去にも適用することは困難だろう」という言葉に続けて、「またそれと同じく、その用語は、現在においても、一つか二つの狭いサークルの外で生きている人々にも適用できないだろう」とも述べていたのである。
では、このことについて、ハルプリンはどう語るのだろうか。それについて語った箇所を読むと、意外なことに、同性愛者と異性愛者という二つの「種族」が現に存在していると考えていたはずの彼が、ボズウェルの指摘をいわばそのまま受け入れ、ゲイ・アイデンティティが実はきわめて多様であることを認めているのである。あるインタヴューでの彼の言葉を聞くといい。「ゲイのサブカルチャーを見ると、そこには性のありかたにはきわめて数多くの可能性があることについて、豊富な証拠があります。ですから、ゲイの人々の多くは、セクシュアリティにはただ二つの種類(つまり、〈ヘテロ〉と〈ホモ〉)しかないようなものではないことは分かっているはずです」[Halperin 1990:44〔七八〕]。──これは彼自身の主張を否定する発言ではなかろうか。というのも、この発言は、「ゲイ」と呼ばれる人々に共通するのは、同性愛的な「性的指向」のみであって、「性的アイデンティティ」ではないと語っているに等しいからである。しかし、その後に書かれた彼のテクストを読むと、この発言が示す方向へと彼の議論は展開されていったように思われる。たとえば一九九五年の『聖フーコー』では、資本主義社会は、それを成り立たせる構成要件として「異性愛者」を作り上げ、しかもそれを無徴の項として温存するために、それとは何かが違う人々に誰彼なく「同性愛者」の烙印を押して、彼らを有徴の項として棄却したのだと述べられている。つまり、そこでの記述によれば、「同性愛者」とは同性愛嫌悪による作りごとであり、「あらゆる種類の互いに相容れない、論理的に矛盾する概念が投げ捨てられる記号論的ゴミ捨て場」だとされている。──「〈同性愛者〉は、〈異性愛者〉ではないすべてというかたちで、否定と対立によって定義づけられる。要するに〈同性愛者〉とは本質をもたないアイデンティティなのだ」[Halperin 1995:44-45; 61〔六七−六九、九一〕]。ハルプリンがここでいう「本質なきアイデンティティ」とは一個の矛盾概念であろう。ところが彼は、そのことを逆手にとって、「(ホモ)セクシュアル・アイデンティティを、対抗的かつ関係的に、そして……実質としてではなく位置として、実在としてではなく規範に対する抵抗として」定義することができるとし、いわゆる「クイア・ポリティックス」を同性愛者たちの政治的な抵抗戦略と位置づけるのである[Halperin 1995:66〔九八〕][7]。しかし、そうした政治的戦略の是非については、もはや本論文の枠内で語りうることではない。
私はここで、社会構築主義と本質主義の議論が互いに両立しうる可能性を、ボズウェルとハルプリンの二人に検討の対象を絞って探ってきたのであるが、おそらくこの問題は、同性愛者の抵抗運動という「政治的」な次元を考慮することなしに、「歴史」というアカデミックな次元では決着をつけることができない問題であろう。今後の課題としたい。
参考文献
Boswell, John, 1980 Christianity, Social Tolerance, and Homosexuality: Gay People in Western Europe from the Beginning of the Christian Era to the Fourteenth Century, Chicago, The University of Chicago Press.(『キリスト教と同性愛──1〜14世紀西欧のゲイ・ピープル』大越愛子・下田立行訳、国文社、一九九〇)
──, 1989
"Revolutions, Universals, and Sexual Categories," in: Martin Duberman, Martha Vicinus, and
George Chauncey, Jr. (eds.), Hidden from
History: Reclaiming the Gay and Lesbian Past,
──, 1990 "Concepts, Experience, and Sexuality," in: Edward Stein (ed.), Forms of Desire: Sexual Orientation and the Social Constructionist Controversy, New York & London, Routledge.
Epstein, Steven, 1990 "Gay Politics, Ethnic Identity:
The Limit of Social Constructionism," in: Edward
Stein (ed.), Forms of Desire: Sexual
Orientation and the Social Constructionist Controversy,
Foucault, Michel, 1976 Histoire de la sexualité, vol.1, La volonté de savoir,
──, 1988 "Sexual Choice, Sexual Act: Foucault and Homosexuality," (An Interview with James O'Higgins) in: Michel Foucault, Politics, Philosophy, Culture: Interviews and Other Writings, 1977-1984, New York, Routledge.
Hacking, Ian, 1990 The
Social Construction of What?,
Halperin, David M., 1990 One Hundred
Years of Homosexuality and Other Essays on Greek Love,
──, 1995 Saint Foucault: Towards a Gay Hagiography, New York, Oxford University Press.(『聖フーコー──ゲイの聖人伝に向けて』村山敏勝訳、太田出版、一九九七)
Halwani, Raja, 1998 "Essentialism, Social Constructionism,
and the Theory of Homosexuality," in: Journal
of Homosexuality, Vol.35, Issue 1,
──, 2006
"Prolegomena to Any Future Metaphysics of Sexual Identity," in: Linda
Alcoff, Michael Hames-Garcia,
Satya P. Mohanty, and Paula
M. L. Moya (eds.), Identity Politics Reconsidered,
Mass,
Padgug,
Robert, 1990 "Sexual Matters: On Conceptualizing Sexuality in
History," in: Edward Stein (ed.), Forms
of Desire: Sexual Orientation and the Social Constructionist Controversy,
プラトン, 1952『饗宴』久保勉訳、岩波文庫。
魚住洋一, 2009a 「メランコリーとしてのジェンダー──バトラーとフロイト」、『京都市立芸術大学美術学部研究紀要』第53号。
──, 2009b 「性的欲望とは何か?──現象学と概念分析」、応用哲学会オンラインジャーナル、Contemporary and Applied Philosophy, vol.1.
(うおずみ よういち・京都市立芸術大学美術学部)
[1] たとえば社会構築主義をごく初期に唱えたロバート・パドガッグもこう述べている。「〈同性愛的〉および〈異性愛的〉行動は普遍的であるかもしれない。しかし、同性愛的あるいは異性愛的アイデンティティ、および、その意識はもっぱら現代的な現実である。こうしたアイデンティティは、個人に生得のものではないのであって、ゲイであるためには、個人的嗜好をもつことや同性愛的な行為をすること以上の何かが必要である。つまり、社会が示す態度の総体、特定の文化やサブカルチャーの形成、社会的諸関係などがまずもって必要となる。〈同性愛的〉行為を〈行なう〉ことと〈同性愛者〉であることとは、まったく異なったことなのである」[Padgug 1990:58f.]。
[2] しかし、これは奇妙なことではないか、とハルプリンは問い掛ける。たとえば、性の好みを食の好みと比べてみるがいい。われわれにしても、誰かが鶏の胸肉を好むからといって、そのことからその人物の生まれつきの性格を判断したり、そのことをその人物のアイデンティティを決定するものと考え、彼を「胸肉食者」(pectoriphage)などと呼んで、その原因を精神医学的に探ろうとはしないだろう。──そのように述べながら、ハルプリンは、だとすれば性の好みも同じではないか、実際古代ギリシアにおいては、食に関してと同様、性に関してもそんなことは誰もしなかったのだ、と訴えかけるのである[Halperin 1990:26f.〔四六−四七〕]。
[3] たとえばハルプリンは、「多くの古代文献が、セックスの対象の性別に関して個々人の選り好みが激しかったことを示している」と述べている[Halperin 1990:34〔七〇〕]。
ところで、ハルプリンが性的アイデンティティのみならず性的指向ないし性的欲望までもが社会的に構築されると主張していると解釈しうる箇所があることも事実である。それは次のような箇所である。「古代アテネの人々の欲望そのものが、セックスとは概して市民と非市民の間でしか生じない行為であるという、彼らが共有する文化的定義によってすでに作り上げられていたのである」[Halperin 1990:32〔五五〕]。たしかに彼はこう述べてはいるものの、それは古代ギリシア人のアイデンティティについて語っているコンテクストにおいてであり、また、彼はこれ以上性的指向の社会的構築について論じてはいない。
[4] ボズウェルが、古代ギリシアにおいても、同性愛が生得的で終生にわたる性的指向だったと考えたのは、アリストファネスが、神話を語ったのに続いて、惹かれ合う二人の男も結婚して子供を作るが、それは「自然に従ってではなく、慣習に強いられて」のことであり、「結婚せず共に一生を過ごすことができれば彼らは満足するだろう」とも述べていたことも、その論拠の一つではないかと思われる。
[5] ボズウェルは、あるインタビューで、現代のポルノ映像のなかで映し出されるいわゆる「顔面噴射」を引き合いに出し、実際にはほとんど誰もそんなことをしないだろう、そんな風に映すのは文化的慣習なのだ、と語り、古代ギリシアの文献に描かれる「少年愛」もそれと同じではないか、と述べている。つまり、それらも彼のいう「文学的投射」(literary emanation)の影響を受けており、額面どおりに受け取るべきものではないのである。
また彼は、このインタビューで、文字通りには受け取れない"paiderastes"(少年愛者)という言葉とはまた別に、"philomeirax"(少年を愛する男)と並んで"philandros"(男を愛する男)という言葉があったことを、古代ギリシアに見出されるのが現代の「同性愛」と著しく異なった「少年愛」ではないことの傍証として持ち出している[Mass 1990:204-206]。
ところで、ハルプリンにしても、自分が語ったのは、あくまでも「性の作法に関するギリシアの規範であって、古代ギリシアにおける性生活の実際の姿ではない」とも述べて、ボズウェルの主張を認めるかのような叙述をしている[Halperin 1990:36〔七一〕]。
[6] ちなみに、ハルプリンは、原因論にはコミットしないこの二人とは違って、同性愛の原因が遺伝子やホルモンにあるという「科学的」な原因論に対し、そうした原因論の背後には同性愛嫌悪的な意図が見え隠れすることを指摘しながら、そうした仮説が実証されることはほとんど不可能だろうと語るとともに、誰も社会学的な現象が生物学的な原因によって決定されるとは信じないだろうと述べている[Halperin 1990:49-51〔八六−九一〕]。
[7] もっともハルプリンは、この「クイア・ポリティックス」を必ずしも全面的に是認しているわけではない。というのも、彼によれば、とりわけそれは、「誰でもクイア!」という、何でもありのその無内容さによって、エスニシティやジェンダーなど内部の差異とその政治的不平等を隠蔽し、人々が現実に被っている抑圧を曖昧化する危険があるからである。しかし、一方それは、ホモフォビア言説によって強要されたアイデンティティを空洞化し否認する機会を与えるとともに、その「広く拡散した」異種混交的なありかたを通じて、異性愛規範にさまざまなかたちで抵抗し、それを転覆させる可能性を拓くものでもあるとして、ハルプリンはそれをあえて擁護するのである[Halperin 1995:64-67〔九四−九九〕]。