伝音アーカイブズ

SPレコードレーベルに見る 日蓄−日本コロムビアの歴史

大西秀紀


展示の様子

今年(2010年)日本コロムビア(株)は創立100周年を迎えます。その前身である(株)日本蓄音器商会が明治43(1910)年10月1日に創立されて以来、同社は常に日本のレコード業界を牽引してきました。今回の企画展示は、同社のSPレコード時代の、主に邦楽レコードのレーベル意匠の変遷をたどりながら、その歴史を振り返ります。

  1. 創立前―日米蓄音機製造(株)時代
  2. (株)日本蓄音器商会―ワシ印の時代
  3. ワシから二連音符へ―コロムビア・ニッチク時代
  4. SPレコード時代の終焉と新しいメディアの出現
  5. 協力者一覧
  6. 参考資料

このウェブページは、上記展示の様子をウェブアーカイブ用に再構成しています。レーベル画像はクリックで拡大表示できます。
各資料の所蔵先についてはキャプション最後尾に記載しています、(伝)は当センター所蔵、印なしは個人蔵。

2011年5月26日追記:
このページで紹介している内容に画像等を加え、フルカラーの図録を刊行しました。
当センターのイベント会場や、ホームページから購入も可能です。
詳細は以下のページをご覧ください。
図録「SPレコードレーベルに見る日蓄−日本コロムビアの歴史」大西秀紀 編

創立前―日米蓄音機製造(株)時代

明治29(1896)年頃 アメリカ人F.W.ホーンが横浜に機械工具輸入商ホーン商会設立。
明治30(1897)年 蝋管蓄音器の輸入を開始。同じころ浅草公園藤棚下で、街頭の蓄音器屋(有料で蓄音器の再生音を聴かせる商売)をしていた松本武一郎と知り合ったホーンは、松本の「三光堂」設立に関わる。
明治40(1907)年
10月
F.W.ホーンが川崎に日米蓄音機製造(株)設立。レコードおよび蓄音器を製造。レコードの国内生産始まる。同時に同社製品の販売会社「日米蓄音器商会」を、ホーンの個人企業として東京・銀座に設立。

「シンホニー(通称:天使印)」 定価2円。日米蓄の最高級レーベル。芳村伊十郎、竹本南部太夫、竹本大隅太夫のもの(36種)。

「ローヤル(通称:獅子印)」定価1円50銭。納所文子、海軍軍楽隊、永田錦心、新橋小静、吉原〆治、豊竹呂昇等(約700種)

「アメリカン(通称:鷲印)」定価1円25銭。輸入盤と重複する曲種や次級演奏者のもの(約300種)。

「グローブ(通称:半球印)」 定価1円25銭。宝生九郎、竹本綾之助のもの。

「ユニバーサル」 定価1円。録音に少々申し分のあるもの。三光堂扱いの米コロムビア盤の意匠に似ている。

(株)日本蓄音器商会―ワシ印の時代

明治40(1907)年8月19日 ホーンの個人経営のかたちで「日本蓄音器商会」を新設し、同時に「日米蓄音器商会」の商号を廃止。
10月1日
個人経営を株式会社に改組し、(株)日本蓄音器商会を創立。
明治45(1912)年2月 日米蓄音機製造(株)を吸収合併。製造・販売の一本化。
大正4(1915)年 自社の片面盤をすべて回収・廃棄し、製品を両面盤へ切り替え。同時に日米蓄時代からのシンホニー、ローヤル、グローブ、アメリカン、ユニバーサルの5種のレーベルを廃止し、再発、新譜のすべてをニッポノホン(ワシ印)に統一。
大正8(1919)年6月 初代社長F.W.ホーン引退。二代目社長にJ.R.ゲアリー(当時東京電気株式会社副社長)就任。
大正8(1919)年12月 京都の東洋蓄音器合資会社(ラクダ印オリエントレコード)を買収。同社は日蓄京都工場となる。オリエントのレーベルは存続(定価80銭)。
大正9(1920)年9月2日 スタンダード蓄音器(株)(蓄音器製造・販売)を買収。
大正10(1921)年10月5日 (株)帝国蓄音器商会(ヒコーキ、スヒンクスレコード)を買収。
大正12(1923)年3月5日 (株)三光堂(ライオン、メノホン、クラウンレコード、およびメノホン蓄音器製造)を買収。
6月27日
東京蓄音器(株)(富士山印東京レコード)を買収。
大正14(1925)年8月3日 合同蓄音器(株)設立(ヒコーキ印定価1円30銭、ライオン印・孔雀印定価1円20銭、フジサン印定価1円30銭)。
昭和2(1927)年5月30日 英コロムビアと資本提携。電気吹込技術(Viva Tonal式録音)とラミネーテッド(芯入り)レコード(ニュープロセス)製造技術の導入。本社吹込所へウエスターン式電気録音機を設置。コロムビアレコードの発売開始。
日蓄時代のシンホニー・ローヤル・アメリカンのレーベル例

日蓄時代の「シンホニー」。日米蓄時代とデザインは同じだが、英語表記の社名が「NIPPONOPHONE COMPANY」になっている。

日蓄時代の「ローヤル(通称:赤鷲印)」。日米蓄時代と同じ黒レーベルの次に作られたデザイン。蓄音器のラッパにとまって両翼を広げたワシは、日蓄のトレードマーク。

上記のデザインに続き、ワシが横向きになったもの。このデザインが以後のニッポノホンのレーベルデザインに引き継がれた。


日蓄時代の「アメリカン」。この「ドンブラコ」は大正2年8月発売だが、すでに両面盤である。

唱歌 桃太郎・日の丸旗/唱歌 案山子・お月様
演奏 日蓄歌劇部員
桃太郎レコード11/12

大正5年発売。直径約139mm(5.5インチ)の小型盤。価格20銭。紙レーベルはなく、ロゴやトレードマーク・タイトル・演者等は原盤に手書きで刻んだ文字がそのままプレスされている。そのネーミングから子ども向けの内容と想像されやすいが、大正7年の総目録に見られる全65種のうち、唱歌・軍歌・お伽歌劇等は20種程度で、他は中村兵蔵の長唄、高峰筑風の筑前琵琶、吉原〆治の俗曲、三遊亭円歌の落語、常磐津文中の常磐津、鶴賀尾登太夫の新内など一般向きの内容が占めている。専用の小型蓄音器(10円)も発売された。


桃太郎レコードのレーベル部分拡大(撮影 齊藤尚)。飾り罫にロゴと桃太郎のマークはおそらく型捺しと思われる。タイトル・演奏者名は手書き。レコード番号は無音部分に刻印で記されている(展示品参照)。

ライジングサンレコード
大正3‐4年発売。日蓄は大正3年後半から4年にかけて、自社製品の片面盤をすべて両面盤に切り替えた。そのため全国の代理店にあった40万枚の片面盤の在庫は回収されてスクラップとなり、材料として再利用された。しかし吉田奈良丸、京山小円、吉原〆治、桃中軒雲右衛門、豊竹呂昇、三遊亭円右といった人気盤の一部はつぶしてしまうのは惜しいという判断から、「ライジングサン」のレーベルを貼り付けて、安価で売り捌こうとした。しかし売れ行きは芳しくなく、結局回収されスクラップになったという。「ライジングサン」のレーベルは一見複写盤のようなデザインで、元のワシ印のレーベルを剥した上に貼られていて、日蓄の社名は見当たらない。日蓄製であることを意図的に隠したように思われる。



大正期のニッポノホンのレーベル例

大正期のニッポノホンの基本的デザイン。旧ローヤル盤のデザインを引き継ぐが、ローマ字だった中央の「ニッポノホン」の表記は、カタカナで右から書かれている。

「ニッポノホン」の初期に見られる黒レーベル。数は少ない。

初期の両面盤だが、表裏でレーベルが異なる例。表は初期の「ローヤル」。

前出「ローヤル1446」の裏面。こちらは黒の「ニッポノホン」。表は昔のローヤル時代のレーベルが残っていたので、無駄にせずに使ったものと思われる。

「京山小円レコード」。レーベル中央のワシを演者の顔写真に置き換えた。レコードがアイドルグッズとなった先駆的デザイン。

「奈良丸レコード」。この盤はレーベルが水濡れで変色しているが、本来は前出の「京山小円レコード」や次の「東京〆治レコード」と同様の配色である。

「東京〆治レコード」。小円、奈良丸、〆治の三人の、当時の人気のほどがうかがえる。

レーベルの製造者名の英語表記に、「MADE IN JAPAN」が付け加えられた例。大正12年4月の15000番台より、レコード番号は表裏共通になり、表面を‐A、裏面を‐Bで表すようになる。

「MADE EXCLUSIVELY・・・・」等の製造者名の英語表記がなくなった例。大正13年8月臨時発売。

大正10年頃に一時的に見られるデザイン。レーベルの材質は赤色艶紙で、ワシがピンク色になった。数は少ない。

NIPPONOPHONEの文字が白抜きのみで縁取りのない例。


大正の終わり頃より、ニッポノホンのレーベルは赤色艶紙に金文字のデザインになる。同時に盤の材質も、この頃から良くなるように思える。(伝)


本居長世の童謡レコードに見られる白レーベル。

大正10年11月、11年1月発売の『歌舞伎レコード』8種32枚の紫レーベル。これより日蓄は、歌舞伎のレコード化に積極的になる。

大正10年6月に突如出現した、日蓄初の12インチレコード。市川猿之助一座の「橋弁慶」「錣引」「父帰る」の3種8枚だが、旧吹込の12インチはこれだけに終わった。

「インターナショナル」レーベルによる「欧州名家シリーズ」。国内録音と外国原盤仕様の日本プレスがこんざいしているようである。この盤は大正7年9月発売か。

ニッポノホンのテスト盤。ペン書きの数字は原盤番号。田辺尚雄が考案した玲琴の珍しいレコードだが、曲名、演奏者等の詳細不明。(伝)

昭和3‐4年頃の制作か。ニッポノホンの委託制作のレーベル例。

大正10年6月発売。日蓄初の12インチレコード、市川猿之助一座の「橋弁慶」「錣引」「父帰る」の3種8枚の専用紙袋(スリーブ)。

大正10年11月発売。ニッポノホンの『歌舞伎レコード』シリーズは大正10年11月と翌年1月の二回に分けて計8種32枚が発売されたが、第二回発売の「伊勢音頭 7枚」「一つ家 3枚」「十六夜清心 4枚」は現存数が少ない。この盤は現存数の多い第一回発売。いずれも専用の袋に入っている。

ワシのいろいろ

ニッポノホンのトレードマークのワシの頭は白い。これは創業者ホーンの母国アメリカの国鳥ハクトウワシをモデルにしているのだろう。しかしハクトウワシの尾羽は白いが、蓄音器のラッパにとまるワシの尾羽は黒い。極東の地に育った亜種だろうか。
レーベルの構図は同じでも、よく見るとNIPPONOPHONの“PP”の文字への翼のかかり具合をはじめ、いかにも雄々しいのやどこか頼りなさそうなのもあり、実に様々なワシたちを発見できる。これらは無作為に選んだ24面だが、1枚の表裏でも絵が違うことはざらである。アコースティック録音の時代は、レコードの再生部分の径に応じてレーベルのサイズを変えることが各社とも一般的だった。当然印刷の版もその種類に応じて必要になる。したがってその都度複数の版下職人たちがワシの絵を描いたことが、このようなバリエーションを生んだ理由のひとつと考えられる。
 
明治44年のポスター
(通称・花見カレンダー)


『日蓄(コロムビア)三十年史』より転載。
デザインは当時日蓄の図案室に在籍した佐々紅華(1866‐1961)。佐々は後にお伽歌劇や浅草オペラの脚本・作曲・演出等に携わり、さらに「君恋し」「浪花小唄」「祇園小唄」等のヒットメーカーとしても活躍した。
ニッポノホンのもうひとつのキャラクター「大仏」

デザインは「花見カレンダー」と同じ佐々紅華。蓄音器から流れる調べに思わず身を乗り出す鎌倉の大仏は、レーベルのワシと並んでニッポノホンの重要なキャラクターである。ビクターのニッパーにヒントを得たといわれる。

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ワシから二連音符へ―コロムビア・ニッチク時代


昭和2(1927)年5月30日 英コロムビアと資本提携。電気吹込技術(Viva Tonal式録音)とラミネーテッド(芯入り)レコード(ニュープロセス)製造技術の導入。本社吹込所へウエスターン式電気録音機を設置。コロムビアレコードの発売開始。
昭和3(1928)1月 米コロムビアよりL・H・ホワイトを迎え、第三代社長に就任。(株)日本蓄音器商会の傍系として、日本コロムビア蓄音器(株)を設立。
4月 録音機器を英国コロムビア式電気録音機に変更
10月 販売における代理店制度を廃止し、メーカーと小売店が直接取引を行うコロムビア直接販売店の制度を確立。制度の完全移行までの緩和策として、商品供給地域を限って小数の大売捌店を残し、大売捌店は次の商品をとりあつかった。イーグル印蓄音器、イーグル印レコード、ヒコーキ印レコード(但し直接販売店にも取り扱う)、オリエント印レコード(但し直接販売店にも取り扱う)。
イーグルレコードは電気吹込の邦楽盤の中からコロムビア盤と重複しない範囲で選別されたが、傑作集レコードや売れ行きの良いものの大部分はコロムビアレーベルで発売されたため、邦楽の主力商品は次第にイーグルからコロムビアへ移行した。
昭和4(1929)3 京都工場(オリエント印レコード)閉鎖。オリエントレーベルは以後発売中止まで川崎工場にて製造。
昭和6(1931)年7月 各種コロムビア商標を(株)日本蓄音器商会へ譲渡。ワシ印、レコード袋の大仏のイラストを廃止。2連音符印(ツインノーツ/マジックノーツ)にマークを統一。
昭和7(1932)年5月
英国EMI開発のMC式電気録音機を採用。
11月25日
合同蓄音器(株)解散。商標権、営業権を(株)日本蓄音器商会に移譲。
昭和8(1933)年1月 廉価盤レーベル・リーガルレコード発売開始。
昭和10(1935)年 10月
(株)日本蓄音器商会の全経営権を日本産業(株)に譲渡し、日産コンツェルンに加わる。第四代社長に三保幹太郎を迎え、純国産資本の企業となる。米ブランスウイック蓄音器のレーベル「ラッキー」の日本での使用権を齋藤誠司商店より獲得し、ラッキーレーベルを発売。
昭和12(1937)年12月 日本産業(株)の満州移駐に伴い、(株)日本蓄音器商会の全経営権は東京電気(株)(後の東京芝浦電気(株))に移管される。
昭和14(1939)年7月 第五代社長に伊藤禿代表取締役が就任。
昭和17(1942)年8月24日 商号を日蓄工業株式会社と変更。同時にレーベルをコロムビアからニッチクヘ改める。
昭和20(1945)年3月頃 レコードの生産中止。

昭和3年7月発売。ニッポノホンレーベルは、この年よりワシ印レコードとして発売された。写真はその最高ランクの海老茶盤(1枚2円)。ワシ印から出た主力盤は、すぐにコロムビアから再発されるようになる。

ワシ印の赤盤(1枚1円50銭)の例。レーベルデザインは旧来のパターンの前出海老茶盤とは異なり、飾り罫などはコロムビアのデザインを踏襲している。ワシ印はコロムビアの傍系レーベルとなった。

ワシ印は昭和5年からイーグルレコードとなるが、レーベル下部に小さく表記するのみで、商標は相変わらずニッポノホンのままである。昭和6年4月発売。同年11月にすべてコロムビアレーベルに統合される。

昭和のコロムビア邦楽譜のスタートは、ニッポノホンの再発から始まった。レコード番号24000台と25000台の前半がそれにあたる。この盤の初出は昭和3年11月で、ニッポノホンのアコースティック録音。(伝)

昭和6年11月発売。録音がすべてマイクロフォン吹込に移行した頃の標準的なレーベル。コロムビアのレーベルデザインに変化は少なく、このロゴや飾り罫のパターンは戦後も続いた。(伝)


昭和11年6月発売。電気吹込の表記が消えた。また表裏を表す‐A、‐Bの文字が消え、表面なら原盤番号の先頭に1(写真の142203)、裏面なら2を付けて区別している。 (伝)


昭和4年9月発売。初期の青盤の例。1枚2円。ビクターの赤盤に相等するコロムビアの高級レーベル。この青盤による組物『邦楽傑作集(アルバム入)』は同社の主力商品だった。 (伝)

昭和8年1月発売。前出青盤の次の時期のレーベル例。 (伝)

昭和14年11月発売。紫盤は青盤よりさらに高級で、1枚2円50銭。小三郎・浄観の研精会コンビの人気の高さがうかがえる。 (伝)


昭和6年8月発売。33,000番台の教育レコードのレーベル例。国語読本、綴り方、国語研究、童話、児童劇、算術、珠算、ピアノ奏法、音楽鑑賞、唱歌、英語教育、仏語教育、等々実に多彩な内容。 (伝)


昭和12年4月発売。前出盤の次の時期の教育レコードのレーベル例。「教育レコード」の表記が「EDUCATIONAL」と英語になる。 (伝)

緑盤のレーベル例。発売時期は昭和5年頃か。この85,000台の番号帯は特殊である。緑レーベルは山田耕作選の「標準 音楽鑑賞教育レコード」の90,000台のものが知られている。

レーベル上部に縦縞模様が入った俗称「スダレ盤」。昭和15年4月から。あわせてレコード番号も30,500台あたりから100,000台へ移行。
写真の盤は昭和18年2月発売で、翌月発売からニッチクになる。 (伝)

写真は昭和18年2月発売の青盤のスダレレーベル(特青盤)。青盤の番号帯はスダレになってから37,000台に移行した。(伝)

4,000台の紫盤のスダレレーベル。写真の盤は昭和16年10月発売。紫盤については、スダレになっても番号帯はそのまま。(伝)

昭和18年3月からコロムビア盤はニッチク盤になる。写真は昭和18年8月発売。(伝)

昭和19年発売のニッチク盤。レコード番号が中央左へ移り、その前に商工省制定の価格格付を表す数字入りの四角が付く。このころレコードの物品税率は120%で、写真の盤の価格は2円82銭。(伝)

昭和19年発売。12インチ盤5枚組。


コロムビアの特殊レーベルの一例

コロムビアのレーベルデザインは変化に乏しいといえる。しかし昭和13年の「愛国行進曲」前後から、内容に特化したデザインのものが見られるようになる。

昭和5年2月発売。白盤は基本的に国歌や式日歌のレーベル。本来委託制作盤だったのが一般発売されたのか。A‐で始まる番号は、その他の委託制作盤が混在している。(伝)

東郷平八郎が日露戦争終結後の連合艦隊解散式で読み上げた訓辞を、あらためて昭和8年2月18日に東郷邸で録音したもの。昭和9年9月発売。(仲辻秀綱氏蔵)


予約限定販売による『二三吉端唄名盤特選集』の1枚。昭和11年6月頒布。(伝)


予約限定販売による『二三吉端唄小唄名盤特選集』の1枚。昭和15年1月頒布。(伝)

内閣情報部最初の選定曲。各社競作となったが、コロムビアからは6枚発売された。レーベルデザインは共通。これは流行歌歌手による斉唱バージョン。昭和13年2月発売。

朝日新聞募集『皇軍将士に感謝の歌』入選歌。B面「仰げ軍功」も同デザイン。昭和14年2月発売。

朝日新聞募集『皇軍将士に感謝の歌』佳作歌。昭和14年2月発売。

大阪市選定。デザインは一般レーベルとおなじだが、この1枚はオレンジ色。昭和14年5月発売。(仲辻秀綱氏蔵)

陸軍省選定。各社競作。昭和14年3月発売。B面は児童合唱団版。コロムビアではもう1枚(伊藤武雄、女声合唱団版/吹奏楽団版)発売された。(仲辻秀綱氏蔵)

前出盤のレーベル違い。(伝)


大日本体育協会選定。このデザインはサンプル盤のみで、本盤(市販された盤)は一般の黒レーベルだった。昭和14年10月発売。(仲辻秀綱氏蔵)


松竹大船作品『愛染かつら完結篇』主題歌。写真は映画の1シーン(田中絹代、上原謙)。昭和15年1月発売。(仲辻秀綱氏蔵)

前出盤の色違いレーベル。(仲辻秀綱氏蔵)

満鉄(旧南満州鉄道)鉄道総局制定。写真はあじあ号(特急「あじあ」)。昭和14年12月発売。(仲辻秀綱氏蔵)


紀元二千六百年奉祝会、日本放送協会制定。昭和15年2月発売。


松竹大船作品、征戦愛馬譜『暁に祈る』挿入歌。昭和15年6月発売。(仲辻秀綱氏蔵)

中原淳一デザイン。軍歌・国民歌全盛の時代に、中原の詩情溢れるデザインが光る。小夜福子は当時宝塚歌劇団月組のトップ。昭和15年8月発売。(仲辻秀綱氏蔵)

陸軍省選定。東宝作品『燃ゆる大空』主題歌。昭和15年10月発売。写真は九七式軽爆撃機。(仲辻秀綱氏蔵)

前出盤の図版違い。写真は九七式重爆撃機。(仲辻秀綱氏蔵)

コロムビア初期の委託制作盤。昭和7年制作ヵ。(伝)

戦前コロムビアの一般的な委託制作盤のレーベル。

ニッチク時代の特別製造盤。本盤(100915)は昭和20年1月発売。(仲辻秀綱氏蔵)

12インチ盤(9枚組)。当時日蓄のスタジオは愛宕山のJOAKと隣接していたが、放送をオンラインでダイレクトカッティングしたものと思われる。昭和18年制作。

国際文化振興会レコード(KBSレコード)のサンプル盤。昭和18‐19年制作。(伝)

スダレ盤時代のサンプル盤の例。演奏者の記載がないが、本手・米川親敏、替手・米川庸男、米川敏子。本盤は昭和17年1月発売。(伝)
 
「邦楽傑作集第49輯」、昭和9年2月発売。

戦前コロムビアの純邦楽レコードの代表的な商品に《邦楽傑作集》のシリーズがある。布張りのアルバムに収められたこのシリーズは、当時の一線級の演者を揃えた同社の看板商品だった。70種を越えるそのラインアップの中で、ひときわ異彩を放つのがこの「日本音楽史」である。伊庭孝編集によるこのアルバムは、製作に三年の歳月を要したという。
【収録内容】
1 久米歌 多忠龍〈拍子〉、東儀民四郎〈篳篥〉、多重雄〈笛〉、東儀和太郎〈和琴〉
2 歌披講「君が代」 伯爵 大原重明、東儀和太郎〈篳篥〉、白井貞雄〈篳篥〉、多重雄〈横笛〉、児島吉太郎〈横笛〉
3 管絃「蘭陵王」 大原重明〈笙〉、近衛直麿〈笙〉、多忠龍〈鞨鼓〉、東儀民四郎〈太皷〉、押田良久〈鉦皷〉
4 催馬楽「席田」 多忠龍〈拍子〉、大原重明〈琵琶〉、東儀和太郎〈箏〉、近衛直麿〈笙〉、多重雄〈笛〉、東儀民四郎〈篳篥〉
5 声明「涅槃講式」 小野塚興澄
6 礼賛「三尊礼」 増上寺法式会員
7 平家琵琶「弓流し」 湯浅半月
8 奥浄瑠璃「牛若東下り」 石垣勇栄
9 狂言小謡「北嵯峨」「あか月」 野村萬斎
10 拍子入独吟「羽衣」切 喜多六平太、寺井政数〈笛〉、瀬尾潔〈小皷〉、安福春雄〈大皷〉、金春惣右衛門〈太皷〉
11 箏組歌「菜蕗組」 富崎春昇
12 三味線組歌「琉球組」 山口巌
13 めりやす「無間の鐘」 富士田新蔵〈唄〉、杵屋栄二〈三絃〉
14 荻江節「短か夜」 荻江寿々子〈唄〉、荻江章子〈三絃〉 
15 尺八本曲「虚空鈴慕」 川瀬順輔
16 一節切「小児(こちご)」 藤田鈴朗
17 一中節「夕霧浅間嶽」 都一梅〈浄瑠璃〉、都一花〈三絃〉
18 河東節「助六由縁江戸桜」 山彦米子〈浄瑠璃〉、山彦秀子〈三絃〉、山彦八重子〈上調子〉
19 繁太夫節「橋づくし」 富崎春昇
20 薗八節「鳥辺山」 宮園千香〈浄瑠璃〉、宮園千秀〈三絃〉
恋ごころ/去り行く影(コロムビア 27221、昭和8年1月発売)
販売促進用垂れ幕

自社の新譜を店頭でお客にアピールするのはいつの時代も同じである。 ポスター、チラシ、幟、垂れ幕はもとより、タイトル・レコード番号を盤面に吹き付けたディスプレー用のレコードやロゴ入りの灰皿等、さまざまなグッズが作られた
「邦楽傑作集」販売促進用ポスター
  (昭和7年1月発売)

恋飛脚大和往来 封印切の場
1中村鴈治郎、4中村福助、中村魁車、他
コロムビア 35222‐25(邦楽傑作集 第24輯)
太功記十段目 尼ヶ崎の段
3竹本津太夫、6鶴沢友次郎
コロムビア 35226‐31(邦楽傑作集 第25輯)

(株)日本蓄音器商会の傍系レーベル
日蓄京都工場製造
ラクダ印オリエントレコード


大正8年発売。日蓄オリエント初期のレーベルは、合併前の東洋蓄末期のデザインをそのまま使用していた。違いはレーベル下部の社名が、「東洋蓄音器合資会社」から「株式会社日本蓄音器商会」になったこと。通称「地球印オリエント」あるいは「多色レーベル」。この塩原秩峰の録音は東洋蓄時代のもの。

大正11年9月発売。日蓄オリエントのアコースティック録音期の代表的なレーベル例。その配色から俗に「黄黒」と呼ばれる。(伝)


昭和3年発売。アコースティック録音期の「特赤」と呼ばれる高級レーベルの例。


大正15‐昭和3年制作ヵ。日蓄オリエントの委託制作のレーベル。

昭和5年4月発売ヵ。電気吹込み(マイクロフォン録音)になってからのオリエントのレーベル例。この時期の録音は、後にリーガルレコードで数多く再発されている。

(株)日本蓄音器商会の傍系レーベル
合同蓄音器(株)製造
ヒコーキ印レコード
ライオン印レコード
富士山印レコード


昭和3年3月発売。合同蓄・ヒコーキのアコースティック録音期のレーベル。前身の帝国蓄音器時代末期のデザインを引き継いでいる。

初出は大正13年10月発売。ライオンのレーベルデザインは、前身の三光堂スタークトンのをほとんど引き継いでいる。この盤は三光堂時代にスタークトンレーベルで発売されたものの再発。


大正14年4月発売。前身の東京蓄音器の流れを汲む富士山印レコードのレーベル例。


昭和4年発売。電気吹込み(マイクロフォン録音)になって、合同蓄のレーベルはヒコーキに一本化された。この緑レーベルが昭和7年中頃まで続く。

昭和7年8月発売。緑レーベルに替わり、昭和7年中頃よりヒコーキレコードはこの黒レーベルになった。しかし同年11月に合同蓄が解散されたため、このデザインは短命に終わり、発売された種類も少ない。オリエント同様、ヒコーキの緑・黒レーベルの録音の多くがリーガルレコードから再発された(仲辻秀綱氏蔵)。

リーガルレコード

コロムビアの廉価盤レーベル。旧オリエントやヒコーキ、イーグルレコードの再プレスが多く、昭和8年1月の第一回発売では、一挙に680枚がリリースされた。しかし並行して新録音も制作・発売されている。価格80銭。リーガル盤は昭和18年2月頃まで続いた。

昭和13年2月発売。リーガルの標準的なレーベル例。番号帯は65,000台から。(伝)

昭和16年9月臨時発売。コロムビアレーベルが昭和15年4月にスダレレーベルに切り替わるのに合わせて、リーガルもこのレーベルに替わる。番号も150,000台に移行。民謡、演芸、映画物語等が多い。


昭和13年10月発売。歌手個人の肖像写真のレーベルは、戦前ではポリドールのお家芸で、コロムビア系統では見られない。この盤と69338の2枚のみが現在確認されている。(仲辻秀綱氏蔵)


前出盤の裏面。これら以外に戦前のコロムビア系のレーベルで歌手の顔写真が載るのは、前出「愛染草紙30433」の裏面「荒野の夜風(霧島昇、ミス・コロムビア、二葉あき子の三人)」ぐらいだろうか。

昭和14年1月発売。表面は藤野正夫「峠月夜」で、写真は前出「風吹の曠野」と同じ。(仲辻秀綱氏蔵)

リーガルの委託制作レーベルの例。制作時期は不明だが、唄の桂三千夫の名は昭和10年1月‐12月発売のリーガルに見られるため、これも昭和10年の制作か。(仲辻秀綱氏蔵)

リーガルのサンプル盤の例。コロムビアと同じ意匠である。写真の本盤は昭和15年6月発売。(伝)

赤レーベルになってからの、リーガルのサンプル盤の例。本盤は昭和15年(10月ヵ)発売。(伝)
   

 

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SPレコード時代の終焉と新しいメディアの出現

昭和20(1945)年10月 「コロムビア」レーベルで生産再開。
昭和21(1946)年4月1日 商号を日本コロムビア株式会社と変更。
昭和26(1951)年4月 日本初のLPレコード発売。
昭和33(1958)年9月 ステレオLP発売

昭和37(1962)年

国内で最後にSP盤のプレス、発売を終了。
昭和46(1971)年1月11日 世界初のPCM方式によるデジタル録音。
昭和57(1982)年10月1日 コンパクト・ディスク(CD)の再生機およびソフトを発売。
平成14(2002)年10月1日 商号をコロムビアミュージックエンタテインメント株式会社に変更。
平成22(2010)年10月1日
商号を日本コロムビア株式会社に復帰。

 




 

戦後の日本コロムビアのレーベル例


昭和21年1月発売。戦後コロムビアの邦楽譜レーベルは、ロゴは戦前と同じ「Columbia」で赤地に銀の印刷(通称「赤銀」)、番号はAで始まる(A盤)。写真は社名が日本コロムビアになってからの再プレス盤。(仲辻秀綱氏蔵)

昭和22年5月発売。「赤銀」の次に、レーベルが黒地に銀印刷の通称「黒銀」になる。この頃日本コロムビアは、戦災で工場が焼失したビクター(昭和24年に復旧)のプレスも請け負っていた。(仲辻秀綱氏蔵)

昭和22年12月発売。「黒銀」から黒地に金印刷の「黒金」に変わった。(仲辻秀綱氏蔵)

昭和24年4月発売。同じく「黒金」のレーベル例。(仲辻秀綱氏蔵)

昭和27年6月発売。「黒金」に続いて、赤地に金印刷の「赤金」になる。以後SPレコードの生産完了期まで、A盤の標準はこの配色であった。(仲辻秀綱氏蔵)

昭和22年5月発売。戦前発売(レコード番号4609‐4613、昭和16年5月発売)の再発。純邦楽系レーベルB盤の例。(伝)


昭和22年8月録音。12インチ盤8枚組。武智鉄二や吉田幸三郎らの尽力で「道明寺」「葛の葉狐別れ」「先代萩御殿」の録音が実現した。数多い義太夫節SPレコードの中で、いずれも屈指の名演である。


昭和28年3月発売。ポップス系のレーベルJL盤の基本的デザイン。歌手の顔写真がレイアウトされたレーベルも多い。通常はA盤の歌手でも、曲種によってはJL盤で発売された。 (伝)

昭和27年11月発売。童謡レコードのレーベルC盤の例。(伝)

昭和26年3月発売。教育レコードのレーベルAK盤の例。(伝)


昭和23年12月発売。映画の1シーンをデザインに使ったA盤の例。写真は高杉早苗。(仲辻秀綱氏蔵)


昭和25年7月発売。コロムビア40周年記念発売。笠置シズ子の写真盤。歌詞カードとは別に、振付の解説カードも付く。(仲辻秀綱氏蔵)

昭和28年4月発売。宝塚映画主題歌。現在歌舞伎界の最長老である四代中村雀右衛門(当時七代大谷友右衛門)と八千草薫のデュエット。

昭和30年9月発売。昭和28年の新橋演舞場の公演以来、大当たりをとった宇野信夫脚色の歌舞伎版「曽根崎心中」にちなんだ一曲。間奏部にお初役の二代中村扇雀(現坂田藤十郎)の台詞が入る。


昭和32年3月発売。美空ひばりの写真レーベル。レコードのスリーブ(紙袋)も専用のデザイン。この頃各社とも専属の人気歌手に特化したデザインを多用する。(仲辻秀綱氏蔵)


前出盤の裏面。曲にあわせ、表面とデザインが異なる。

昭和33年6月発売。東映映画主題歌。ひばりの特殊レーベルは数多い。(仲辻秀綱氏蔵)

前出盤の裏面。


委託制作盤。戦前はAで始まるレコード番号だったが、戦後はPRから始まる。レーベル意匠は一般邦楽譜のA盤と同様。 (伝)


戦後のテスト盤のレーベル例。レーベル下部のペン書きの数字は原盤番号。本盤はレコード番号A3102で昭和33年11月発売。 (伝)

昭和37年2月発売。日本コロムビアは国内で一番最後までSPレコードを生産した企業だが、この盤が流行歌におけるSP最後の新譜となった。当時すでにEP盤が並行して発売されており、歌詞カードを兼ねたEP盤のジャケットがSP盤にも添付された。

 

 

戦前-戦後のレコード用紙袋(スリーブ)の一例


昭和初期のコロムビアのレコード袋。裏面にはコロムビア専属の演奏者名一覧が記載されており、大正期のニッポノホンからの流れを感じさせる。しっかりした紙質。

昭和15年にレーベルがスダレに替わるまでの、一般的なデザイン。紙がやや薄くなり、破れやすい。

教育レコード専用の紙袋。レーベルにギザギザ文字の「電気吹込」の表記があった頃のものか。

昭和15年にレーベルが赤に替わるまでの、黒レーベル時代のリーガルの専用紙袋。

赤レーベル時代のリーガル及びコロムビアの共通の紙袋。

東郷平八郎「連合艦隊解散式訓辞 コロムビア29000」の専用紙袋。昭和9年9月発売。(仲辻秀綱氏蔵)


「愛国行進曲」専用紙袋。昭和13年2月発売。


大日本体育協会選定、「くろがねの力 コロムビア30376」の専用紙袋。裏面は「体育行進曲」で学生ブラスバンドの写真。昭和14年10月発売。(仲辻秀綱氏蔵)

「愛染草紙/荒野の夜風」の専用紙袋。顔写真は上段中央から時計回りに、二葉あき子、霧島昇、万城目正(「愛染草紙」作曲)、早乙女光(「荒野の夜風」作曲)、西條八十(作詞)、ミス・コロムビア(松原操)。

戦後コロムビアの邦楽譜に使われた一般的な紙袋。地色がもう少し黄色味がかったものもある。


前出のものに続いて使われたデザイン。


戦後コロムビアの純邦楽譜に使われたデザイン。昭和30年代か。

昭和30年9月発売。写真上は昭和28年8月の新橋演舞場「曽根崎心中」の大ヒットで、一躍歌舞伎界の若きスターとなった二代中村扇雀(現坂田藤十郎)。裏面はお染に扮したひばりの写真。

昭和32年3月発売。表面は「港町十三番地」。この頃レコード各社は、レーベル・歌詞カード・レコード袋に、専属の人気歌手に特化したデザインを多用する。(仲辻秀綱氏蔵)


昭和33年6月発売。東映映画主題歌。裏は「花笠道中」の写真。(仲辻秀綱氏蔵)

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協力者一覧

(敬称略 順不同)

  • 仲辻秀綱(レコード収集家)
  • 郡 修彦(音楽史研究家)
  • 角 敏夫(レコード収集家)
  • 永井美和子(早稲田大学演劇博物館)
  • 写真撮影 齊藤尚
  • Webページ制作 東正子

参考資料

  • 『日蓄(コロムビア)三十年史』、日本蓄音器商会、1940
  • 山口亀之助『日本レコード文化発達史』、録音文献協会、1936
  • 倉田喜弘『日本レコード文化史』、東京書籍、1979
  • 倉田喜弘『日本レコード文化史』、岩波書店、2006
  • 岡田則夫「続・蒐集奇譚 9,10,28、30」『レコード・コレクターズ』
    ミュージックマガジン社、1991‐1993
  • 森垣二郎『レコードと五十年』、河出書房新社、1960
  • 『日本レコード協会五十年史 ある文化産業の歩いた道』、日本レコード協会、1993
  • 日本コロムビア株式会社ホームページhttp://columbia.jp/company/corporate/history/index.html
  • 日本コロムビア株式会社−Wikipedia

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最終更新日:2015/2/5 | 公開日:2010/12/2